とある日の出来事
「わたしにはわたしの地獄があるし、あなたにはあなたの人生の地獄があるのだから」
宇垣美里さんのこの発言がとても好きだ
あなたにはあなたにしかわからない(みえない)苦しみがあって、
わたしにはわたしの苦しみがある
だから、わたしはわたしの苦しみを、誰かに分かってもらおうなんて思わないし
わかってもらえるはずもない
そう思ってたのに
でも、比べてしまう
ある日、苦しくてたまらなかったとき
「わたしよりあの子の方が苦しいはずだ。わたしはまだ大丈夫だから頑張らないといけない」
わたしは泣きながら彼女にそう伝えた
すると
あなたの苦しみはあなただけのもの
だから、誰かに理解される必要も比べる必要もないって
あなたが教えてくれたのになんでそんなこと言うの?
そして
逃げてもいいんだよ、一緒に逃げようね
ずっとそばにいようね
死ぬ前にわたしにちゃんと言ってね
その時は一緒に死のうね
そう言って彼女がわたしを抱きしめてくれた
これは最近の、とある日の出来事。
やりたいこと
わたしにはやりたいことがない
あなたはやりたいことがないんじゃなくて
できることがないんだよ
いっぱい自分でできることを増やしていって、それでその上にやりたいことってでてくるんだよ
たまたま見てた動画で、この言葉に出会った
ストンと自分の中で納得してしまった。わたしは何もできない、だから何もやりたいことなんて見つけられないのだと
死生観
「死にたい」と「死のう」では全く意味が異なると思っている
これは、あくまでこれはわたしの考えなのだが
「死にたい」=死にたい(けどなんらかの理由があって死ねない)
「死のう」=よし!死のう
だと思う
いつも死にたいわたしは、一度だけ死のうと思ったことがある
(その時の動機が空が青くて綺麗だったからなのは、今考えても意味不明すぎて恐ろしくなる)
いつもは言い訳ばかりをして死ぬ覚悟なんてできていなかったけれど、この時ばかりは違っていた
そして、わたしは死のうと思ったとき、自分が多幸感に包まれるように感じた
(結局、いろいろあって自死が叶わなかったけれども)
電車への飛び込み、練炭、飛び降り
人々は様々な方法で自死を選ぶ
自死した人に対して、「自死するほど苦しかったんだね」「迷惑な奴め(人身事故の際)死んだ後のことを考えなかったのか」と人々は口を揃えて言うけれど
わたしはそれを聞くたび違和感を感じてしまって共感できずにいる
だって、「死にたい」ではなく「死のう」と決めた人間は最強だから
⚠︎死生観は人によって千差万別なもので、これはあくまでわたしの死生観です
なので、この文章を読んで「わたしは違う」とモヤモヤする方もいらっしゃると思いますが
あなたにはあなたの死生観があるのでしょう
苦手なこと
他者から自己紹介を求められることが苦手だ
わたしはこの大学を卒業して、こんな仕事をしています。こんな趣味があります
薄っぺらいそれらの情報のせいで
相手から、わたしの全てを決めつけられてしまう気がしてしまう
あなたはこういう人間なんでしょうと
違うんだわたしはそんな人間じゃない
わたしのことを何も知らないうちから決めつけないでと叫び出したい
思春期を拗らせてるんだろうなと自分でも苦笑いしてしまう
はじめまして
Twitterで繋がってる方もそうじゃない方も
ここでは、はじめましてになりますね
もしかしたら誰もみてないかもしれなくて
それはそれでいいと思っています
わたしは仕事を辞めたい社畜です。そして、お付き合いしている彼女がいます
これは、わたしが自分の気持ちを整理して折り合いをつけようと思って始めた日記です
プログ名が暗愁となっているためお気づきかもしれませんが、ここではわたしの暗い気持ちに焦点をあてていくことになると思います
そういったものが苦手な方は戻るボタンを押していただき、Twitterでは何事もなかったように仲良くしてくれると嬉しいです
文章を紡ぐのは好きですけど、言葉を知らなさすぎるので言葉選びを間違ってしまうこともあると思います
どうぞお手柔らかにお願いします